無意識の刃と、足元に気づかない怖さについて

最近、Twitterで見かけたものの中に、こんな投稿があった。
少しばかり前に、薬物の使用疑惑と同性愛を取り沙汰され、引退することになった若い俳優の写真だ。
彼は写真の中でキッチンに立ち上機嫌に料理をしている。写真は170センチほどの彼よりもだいぶ高い視点から撮られたもので、その写真に対して投稿者は、写真の視点が女性でないのが最高、というコメントを付与していた。
その投稿はかなりの数リツイートされていたが、私は少し引っかかるものがあった。
おそらく投稿者に悪気はなく、下手すると善意でやっている可能性もある。”あなたは同性愛に対して引け目を感じて引退したかもしれないが、私たちは全然気にしてませんよ”というアピールが含まれていたり、さらに踏み込むと、いわゆるBLを好む層などからは歓びさえあるように思えた。
セクシャルマイノリティに対して、気持ち悪い、理解出来ない、という言葉を突きつけることは分かりやすく悪であるが、今回のようなケースもまた、彼ら、彼女らに対してデリカシーのない消費に当たらないだろうかと考えてしまった。
あの写真から、彼と(男性であると勝手に想像される)撮影者との絡みを想像していい気分に浸ることと、電車で舐めるように女性を見る変態との間に、どれほどの差があるのかと問いたくなってしまう。